金融市場における複雑なダイナミクスを解き明かすため、時系列データ解析や乱数の導入など、様々な手法が投資戦略に絡み合っています。
今回は、計算物理学、時系列解析、金融データ分析をご専門とされている広島経済大学 高石教授にお話をお伺いし、これらの要素が株式投資にどのような価値をもたらすのか、具体例を通じてその効果を考えていくことで、市場への理解を深めていきたいと思います。
取材にご協力頂いた方
高石 哲弥(たかいし てつや)
広島大学大学院修了 博士(理学)
ハイデルベルグ大学理論物理学研究所DFG研究員
チューリッヒ工科大学Swiss Center for Scientific Computing博士研究員等を経て現職
専門は計算物理学、経済物理学、時系列解析
目次
時系列データ解析と株式投資の関連性について
ー 時系列データ解析が株式市場や為替市場でどのように応用され、投資家にとってどのような価値を持つのか、ご見解をお聞かせください。時系列データが株価予測や市場動向の理解にいかに貢献しているかを具体的な例を挙げて説明していただけますか?
高石氏:これまでに株価や為替などの時系列データの統計的解析は多く行われてきています。その結果、金融資産価格時系列には”Stylized Facts”と呼ばれる普遍的に現れる性質があることが分かってきています。例えば、収益率の自己相関はほとんど観測されませんが、絶対値収益率の自己相関は長期にわたって相関を持ちます。また、ボラティリティの高い時期や低い時期が現れる”ボラティリティクラスタリング”という性質も示します。株価時系列等をモデル化する場合、どのようにモデル化するかとして”Stylized Facts”を満たしているかどうかを指針として利用することができます。”Stylized Facts”をたくさん表現できるモデルがより現実の株価変動をモデル化しているという考えです。そのようなモデルの一つとしてGARCHモデルがあります。GARCHモデルはEngleによってARCHモデルとして提唱され、その後BollerslevによってGARCHモデルとして一般化されたモデルです。GARCHモデルはStylized Factsの多くを再現でき、ボラティリティの予測モデルとしてよく利用されています。Engleはこの業績で2003年のノーベル経済学賞を受賞しています。GARCHモデルではボラティリティの予測を主な目的としています。ボラティリティは金融資産の変動の大きさを表し、リスク管理の主要な指標となることからリスク管理を行う実務家にとって、ボラティリティを予測することは重要なタスクとなります。
その他にも株価データの解析は市場の状態を調べるために様々に利用されています。例えば、株価変動の時系列がランダムな変動をしているのか、それとも何らかの相関をもっているのかを調べるために、時系列のハースト指数を求める解析があります。ハースト指数から価格変動がランダムと分かれば株価予測が難しいが、相関を持っていると分かれば株価予測が可能になるという考えになります。
株価予測への未知の挑戦
ー 乱数を使った計算が株価の予測モデルにどのように影響する可能性がありますか?乱数の導入が投資戦略や意思決定に与える影響について、ご見解をお聞かせください。
高石氏:”Stylized Facts”によると収益率の自己相関は小さいことが知られており、これは株価のアップダウンを予測するのは難しいことを示しています。しかし、株価以外の様々な情報を利用してモデル化することによって、ある程度予測が可能になる可能性はあります。そのような例の中で最近の注目すべき方法は機械学習を利用した方法かも知れません。機械学習ではニューラルネットワークでモデルが表現され、過去の様々な情報を入力し、正しい値を出力するようにニューラルネットワークのパラメータが調整されます。機械学習では明示的に株価変動をモデル化するわけではなく、ニューラルネットワークのパラメータ調整によってモデルが作られていきます。従って、もしかしたら、我々の知らない株価変動の法則をニューラルネットワークが自動的にモデル化してくれる可能性があります。その場合、既存のモデルよりもより精度の良い株価予測ができるかもしれません。
小さな世界と金融市場の秘密
ー 物理学的には小さな世界や微小な粒子が、予測できないような複雑な振る舞いを示すことがありますが、この「小さな世界の粒子の性質」が金融市場や取引のネットワーク構造にどのような影響を与える可能性があるか、ご見解をお聞かせください。
高石氏:小さい世界ではたくさんの分子や原子が存在し、それらが相互に影響を与えながら運動しています。相互作用の大きさやその系の温度によって分子や原子の状態が変化することがあります。例えば、水は摂氏0度以下になると液体から固体の氷となります。このような状態の変化を相転移といいます。
金融市場では分子や原子にあたるのがトレーダーと考えられます。トレーダーは金融市場における様々な情報をうけて次の取引(運動)を決めていると考えられます。金融市場に参加するトレーダーの活動によって現時点の株価が決まります。株価の変動は変動幅が小さい時期があったり、暴落やバブルといったある方向に変動が大きくなったりします。このような変動が小さい時期から暴落やバブルといった状態への変化は自然界で起こる相転移に似ています。そこで、磁石のモデルで知られるイジングモデルを利用して、金融市場をシミュレーションした研究があります。イジングモデルでは格子上の交わった点に磁石のアップダウンの向きを表すスピンが定義されます。スピンの向きが揃っていると全体として磁石の性質を持つようになります。温度がある温度よりも高くなるとスピンの向きが揃わなくなり磁石の性質が失われます。磁石の状態から磁石でない状態への相転移が起こったことに対応します。
金融市場のシミュレーションではスピンがトレーダーに対応し、例えばスピンがアップの状態を買う状態、ダウンが売る状態に対応させます。そして、アップとダウンのスピンの割合に応じて株価が変動します。たくさんのスピンの向きがアップに揃っている状態はバブル、ダウンに揃っている状態は暴落の状態に対応します。このモデルのシミュレーションの結果はボラティリティクラスタリング等の”Stylized Facts”を再現することが知られています。金融市場におけるトレーダーの動きをイジングモデルは捉えていると考えられます。
株価統計とリスクの見える化
ー 投資において、リスク管理やポートフォリオ構築は重要な要素のひとつと認識されていますが、株価を統計的に分析することが、リスク管理やポートフォリオ構築にどのように役立つとお考えですか、ご見解をお聞かせください。
高石氏:投資家や大規模な資産運用を行う機関投資家などにとって、金融資産のリスク管理やどのようにポートフォリオを構築するかは重要なタスクです。その際に重要な指標となるのが、上記で出てきたボラティリティです。ボラティリティは金融資産の変動の大きさを表し、ボラティリティが大きいとその資産のリスクが大きくなっていると判断します。従って、ボラティリティを予測することは金融資産のリスク管理やポートフォリオ構築を行う上で重要になります。
株価のボラティリティを知るためには、まずは過去の株価データを分析する必要があります。過去の株価データを統計的に分析することによってボラティリティがどのような変動をしているかが明らかになります。そして、ボラティリティ時系列を表す適切なモデルを選択し(例えばGARCHモデルなど)、そのモデルから将来のボラティリティを予測して、リスク管理やポートフォリオ構築に運用します。
モンテカルロ分析と投資戦略の最適化
ー モンテカルロ分析は交通渋滞や台風の進路予測など我々の身近な場面で利活用されていますが、投資戦略の最適化にはどのように役立つとお考えですか、ご見解をお聞かせください。
高石氏:”Stylized Facts”の結果から株価などの金融資産価格は、明日上がるか下がるかを正確に予測するのは難しいと思われます。一方で、価格変動の分布がどのようになるかは過去の時系列データを分析することによって知ることができます。価格変動の分布は、近似的には正規分布または正規分布よりもすそ野の厚い分布(ファットテイル分布)になることが知られています。これらの分布をもとに、モンテカルロシミュレーションを実行することによって将来起こり得る価格時系列のパスをたくさん生成することができます。そして、生成されたデータのもとでポートフォリオ価格を計算し、個々の投資家の戦略に最適なポートフォリオ構築への情報を与えることができます。また、リスク管理ではVaRやCVaRなどのリスク指標が用いられたりしますが、これらもモンテカルロシミュレーションによって見積もることができます。
ー 本日は貴重なご見解ありがとうございました。