医学の進歩により、我々人類の健康寿命が伸びたことにより、それまでよりさらに豊かな生活を送ることができるようになっていることは、大変喜ばしいことです。近年、健康と運動の相関関係、病は気から生じる可能性、そして自然治癒力の分野の探求が今日の健康研究において注目されています。
そこで今回は、ライフスタイルマネジメントについて研究している明治大学教授 鈴井正敏氏に、健康とライフスタイルの関連性に焦点を当てて、お話をお伺いしました。
これまでの鈴井教授の研究で得られた貴重な知見に触れながら、心身の調和を追求する重要性とその奥深さに迫ります。
取材にご協力頂いた方
鈴井 正敏(すずい まさとし)
明治大学経営学部 教授
明治大学経営学部卒業、筑波大学大学院修士課程体育学研究科修了、トロント大学環境医学研究所、博士(医学)。
ライフスタイル・マネジメント論、健康科学などを担当。ライフサイエンス、運動と免疫を研究課題としている。日本体力医学会健康科学アドバイザー。趣味はアウトドア、DIY、アメリカンフットボール。
目次
健康と運動の相関関係について
ー 健康と運動は密接な関係があるとされていますが、具体的にはどのようなメカニズムが心身の健康に寄与するとお考えですか?また、特定の運動が心の健康に与える影響についてもご見解をお聞かせください。
鈴井氏:運動には生活習慣病=運動不足病から身を守る「リスクを予防する効果」と運動によってもたらされる楽しさや爽快感、達成感と行った「ポシティブな効果」があります。
運動は筋や骨だけでなく、呼吸循環機能や代謝機能を鍛えることになるので生活習慣病予防に役立つことが知られています。新型コロナ感染症では普段からよく運動をしている人は重症化しにくかったことが明らかになりました。このように免疫機能に対してもプラスの効果があります。
運動自体はストレスの原因(ストレッサー)でもあるのですが、生体はその報酬として快感や達成感を生み出しています。ジョギングなどの有酸素運動ではランナーズ・ハイといわれる高揚が得られます。走っているうちにいつのまにか嫌なことや悩みを忘れてしまうのです。さらに、好きなスポーツを趣味にすることは人生を豊かにすることにもつながります。いずれも現代のストレス社会を生き抜くためのコーピングツールとなります。
「病は気から」の観点から見た病気の発生メカニズム
ー 「病は気から」という言葉が示すように、心の状態が体調に与える影響は大きいと言われています。心の状態が具体的な病気とどのように関係しているのか、またその予防や治療においてどのようなアプローチが有効とお考えですか?
鈴井氏:心とからだは表裏一体です。とくに循環器や消化器、免疫は影響を受けます。ストレスがある場合では交感神経の活性化と内分泌系のCRH-ACTH-コルチゾールの分泌(HPA軸)が起こります。これらはもともとは逃走か逃避という緊急事態への反応で、危急な場面で大きな力を出すために必要です。ただし、心臓や脳の血管に大きな負担がかかったり、胃や十二指腸に障害が起きる可能性があります。また、気分が落ちこむなど長期的なストレスの場合にはコルチゾールの作用により、免疫機能が低下してしまいます。そうなると感染症にかかりやすくなったり、がん細胞の除去がうまくできなくなることが考えられます。
幸いにも人間は適度な刺激が繰り返されることで心もからだも強くなっていくことができます。精神的に強くなるためには失敗やストレスの経験が力になります。また、運動はからだを鍛えるだけでなく、同時に、心のトレーニングにもなっています。運動をよくやっていると精神的ストレッサーに対してもストレス反応が小さくてすむことがわかっています。ただし、やりすぎはオーバートレーニングとなり、逆効果になりますので注意が必要です。
自然治癒力の可能性とその引き出し方
ー 自然治癒力を最大限に引き出すために、具体的なライフスタイルの戦略はありますか?食事、運動、精神的なアプローチなど、複合的な要素を組み合わせて自然治癒力を高める方法についてご見解をお聞かせください。
鈴井氏:自然治癒力は人間が持っている自然に病気やケガなどを治す力と考えることができます。これは生体をニュートラルな状態に保つ力と考えることができ、ホメオスタシスともいわれるものになります。ホメオスタシスを維持するのは神経系、内分泌系、免疫系です。
これらは自分の意思で動かすことはできず、環境の変化に応じてオートマチックに対応してくれる機能で、お互いに影響し合いながら働いています。残念ながら、神経系、内分泌系、免疫系は個別に取り出して鍛えることはできません。運動やストレスなど、言いかえれば、刺激して乱すことによって元に戻ろうとする力が高められるのです。また、回復するときには栄養や休養が重要になります。
つまり、人間の機能を高めるためには適度な運動やストレス、消費に見合った栄養(カロリーやPFCバランス)、疲労に見合った休養と睡眠が必要です。アクティブになること、チャレンジすること、これが元気の源であり、自然治癒力を高めることになると考えています。
ライフスタイルが疾患の予防に果たす役割
ー ライフスタイルが疾患の予防に与える影響について教えてください。特定の生活習慣が特定の疾患の発症リスクを低減する可能性や、その根拠についてのご見解をお聞かせいただけますか?
鈴井氏:感染症では、たとえば結核は結核菌が原因で発症するように、病気と原因が直接的な関係になっています。これに対して現代疾患の多くは運動不足、栄養過剰、休養不足、ストレス、アルコール、たばこなどのライフスタイルのなかのリスクファクターが影響しあって発症してくるものです。
一つのファクターを取り除いていたからといって病気を予防したり、治るわけではありませんし、あるファクターが増えたからすぐに病気になるといったものでもありません。これらのリスクファクターが何年もの時間をかけて病気となっていくのです。さらにそこに遺伝的な要因も関係してきます。
もし、私がリスクを軽減する要因として最初に選ぶならば運動不足の解消をおすすめします。理由としては前述した通りになります。ただし、成人以降では運動をやりたいという気持ちは自然には生まれません。自分で作り出さなければいけないので、習慣化するのは簡単ではありません。厚労省の調査では運動習慣がある人は2〜3割になります。現代の文明生活はなにも気をつけなければライフスタイルそのものがリスクになってしまうこと、とくに運動不足の影響は大きいことを理解する必要があるでしょう。
心身のバランスを保つための総合的アプローチ
ー 心身の調和を保つためには、運動や心のケアだけでなく、他の要因も考慮する必要があると思います。具体的に、食事や睡眠、社交活動などを含む総合的なアプローチが重要だと考えますか?また、その理由をお教えください。
鈴井氏:ライフスタイルマネジメントは、リスクを軽減することと自分の価値を創造して人生を豊かにすることから構成されています。健康やウェルビーイングにつながる考え方です。ライフスタイル自体がリスクになるので総合的なアプローチは大切です。ただリスクを軽減するだけでは意味のある生活を作ることにはなりません。やりたいこと、生きがいがあることが大切です。熱中できること、楽しめることがあれば多少ネガティブなことがあってもがんばることができ、心身の調和を保つことができます。それはスポーツでも、音楽でも、食事でも、社会活動でもなんでもいいのです。
「健康とは病気でないこと」という2元的な健康観があります。しかし、高齢化が進む現代社会のなかで、完全に病気がない人は限られてしまいます。リスクや病気を完全に無くすことを求めるのではなく、ネガティブな要素があっても、それらと共存し、それなりにコントロールしながらやりたいことができること、それがライフスタイルマネジメントのアプローチです。多様な価値観や複眼的な視点がキーとなります。
ー 本日は貴重なご見解ありがとうございました。