自由のシンボル・ビットコイン
米大統領候補のロバート・F・ケネディ・ジュニア氏(ダラスで暗殺されたJFKの甥)は11日、「ビットコインはドルバブルが崩壊するときの逃げ道」とツイートし、BTC vs. CBDCの対立軸を鮮明にした。
ケネディ氏は、CBDC(中央銀行デジタル通貨)を国民の自由を束縛するものだと批判し、そのアンチテーゼとしてビットコインを持ち出した。
彼は選挙戦をたたかう上で、ビットコインを「自由のシンボル」にしたいらしい。BTCを規制したうえで、CBDCが導入されれば、個人情報は国家に筒抜けとなり、弱みをにぎられた個人は、自由な発言ができなくなる、というロジックだ。
なるほど、CBDCであれば、中国共産党が香港のデモ参加者に対して行ったように、国家にとって都合の悪い人間の資産を完全に凍結するなど、たやすいことだ。
だが、CBDCを導入したからといって、必ずしも中国型の統制社会になるわけではあるまい。もはや「右派⇔左派」という原始的な対立軸はもちろん、「自由⇔平等」「ナショナリズム⇔グローバリズム」「大きな政府⇔小さな政府」といった単純なモデルでは、現代アメリカの政界は捉え切れなくなってる。
バンコクの思い出
筆者は10年ほど前、バンコクで幼稚園を経営していたことがある。そのとき、施設内に監視カメラを取り付けようとしたのだが、保母たちから猛烈な抵抗にあった。
その後、内外で児童に対する虐待・放置の不祥事が相次ぎ、今なら監視カメラは抵抗なく受け入れられると思うが、自分が「常に見られている」「疑われている」という感覚は、多くの人に強いストレスをもたらすらしい。
全ての個人取引が電子台帳に記録されるCBDCに対する生理的な嫌悪感も同じ理屈だろう。CBDCは、冤罪の多くが解決されたり、犯罪資金がシャットアウトされるなど、利点も多いはずなのだが。
利便性とプライバシーのトレードオフ
政治の世界は、経営コンサルタントが好むような、2軸の対立軸で捉えられる単純なものではない。
既存のフレームワークに無理に当てはめようとせず、「利便性と安全のためならプライバシーを差し出してもよい」vs.「利便性と安全のためでもプライバシーは差し出したくない」の軸を追加するのが、BTC派 vs. CBDC派の対立をとらえるのに適切な視点だ、と筆者は思う。
FTXの破綻に際しては、これまで断固アンチ金融庁だった日本の暗号資産フリークたちも、その多くは金融庁の規制のおかげで損害をまぬがれ、一転金融庁に感謝することとなった。つまりBTCもCBDCも一長一短なのだ。
あなたはBTC派?それともCBDC派?
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